
sobogaです。
今さらトッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演の映画『ジョーカー』を観ました。
以下、おもっきりネタバレを含みますのでご注意を!
連続2回観た結果、達した結論
まず1回観て、それから『ジョーカー考察記事』をネットで読み漁り、さらにもう1回観直しました。
この映画の解釈は大きく2つに分かれていて、物語の冒頭からラストの『ホワイトルーム』の直前までぜーんぶまるっと『ある男』の妄想だとする派と、そんなことはなくて、ある程度は『アーサー』の身に実際に起こった現実のコトで、一部が妄想だとする派ですね。
sobogaは後者で、『一部事実・一部妄想』派です。
『まるごと妄想説』は矛盾を含んでいる
見方によってはまるごと妄想と見ることもできるし、一見そっちのほうがスッキリする感もあるんですが、そうすると矛盾が生じるというかどうにも不自然なエピソードが浮上してきちゃうんですね。
アパートの隣人でシングルマザーのソフィーとの一件です。
ソフィーと恋人になり、彼女とのやりとりによって承認欲求の充足・自己肯定感が爆上がりしていくシーンですが、実はこれが全部まるごと妄想で、彼女との絡みは一切無かったという切なすぎるエピソードでした。
こうなると、妄想(ホワイトルームにいる男の妄想)の中の妄想(アーサーの妄想)が、アーサーにとって妄想だったということに気付いた、というエピソードになるためどうにも意味がわからないくだりになってしまいます。
ということでsobogaはこっち派ではありません。
どれが事実でどれが妄想か?
製作者はだんまりを決め込んでいるのでこれの答え合わせはできないんですが、ここの考察・解釈を自分なりにすることこそ、この映画の楽しみ方なのかなと感じました。
長くなりそうなのでsobogaの解釈は次回に続けますね。